2ntブログ
ブランキーの吉原ソープランド徒然草

ブランキーの吉原ソープランド徒然草

吉原ソープ情報サイト『ギャルズコレクション』のブランキーが取材したり撮影しながら、思いついた事をダラダラと書き綴る吉原ソープに関するブログです。

 

大相撲ピンチ!

未曾有の賭博容疑者を出した大相撲が大ピンチを迎えています。
木瀬親方の暴力団との関与を皮切りに
大関の琴光喜の野球賭博と暴力団関係者からの恐喝が明るみに、
野球賭博、賭けゴルフ、花札など賭博行為を行っていた力士が65名と
不祥事なんて生易しいものではなく名古屋場所の開催が危ぶまれ
大相撲の存続すら心配する声があがっています。

相撲は古来から神事として行われその起源は(神ではなく人間同士が行った相撲)
紀元前23年7月7日 (旧暦)にある野見宿禰と当麻蹴速の「捔力」(すまひとらしむ)での戦い
と日本書紀に記されています。

興行としての形態を取り職業力士が認められたのは1684年です。
その後明治維新時には文明開化の波から「裸体禁止令」が発令され
力士達は罰金、鞭打ちに処されますが、明治天皇、伊藤博文の尽力により
天覧相撲が実現し、社会的に公認され危機を乗り越えられたそうです。

ここら辺を遊郭と比較すると面白いです。
遊郭は明治維新は全く関係なかったのが昭和33年の売春防止法により
壊滅させられますが、相撲は明治維新の時に壊滅の危機だったんですね。

相撲が段々と崩れてしまったのは北尾(双羽黒)を
優勝経験のない横綱として誕生させてしまったのが発端なような気がします。
ここら辺から神事である相撲がスポーツとしてのSUMOUへと軽んじられてしまったかのように
外国人力士が台頭しはじめ、相撲と言う古来からの伝統が曖昧になっていきます。

時代の流れもあるでしょうが、このまま外国人力士が台頭し
日本人力士の最後の優勝が2006年初場所の栃東を最後に途絶えてしまい
強けりゃ良いじゃん的になるのであれば
もはや神事として相撲の伝統、品格を各力士が維持できないでしょうから
完全にショー、スポーツとしてしまった方が良いような気がします。

遊郭からトルコ、ソープランドと形態を変えたように
相撲もSUMOUにしてしまったほうが良いと思います。
いくら伝統、伝統といった所で仮に吉原遊郭が存続していたとしても
今の若い女の子が遊女をやったり
遊ぶ側も旦那衆のように遊べるかと言われたら無理だと思います。

26年の歴史しかないソープランドでさえ、ナンバーでないと部屋持ちになれなかったのが
個室待機なんてヘルスみたいな制度が導入されたり
くぐり椅子なんて伝統芸能のようにお目にかかれなくなったり時代の流れで変わって行きます。

もはや神事としての相撲をやるのは限界なのかも知れませんね。
 
<-   06 2010  ->
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
プロフィール

ブランキー酒井

Author:ブランキー酒井
■通り名
ブランキー酒井

■趣味
DVD集めと戦争ゴッコ

吉原ソープランド情報サイト
『ギャルズコレクション』代表
風俗カメラマンとして撮影したり
吉原を徘徊する日々。

ご意見ご感想はこちら

カレンダー(月別)
05 ≪│2010/06│≫ 07
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
タグクラウドV1.2a
Twitter
QRコード
QRコード
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

Archive RSS