昨日、友人から共通の友人が亡くなっていたと連絡を受けました。
亡くなった友人はまだ34歳の若さだったのですが肺癌だったそうで、痛みを訴え入院した時には手の付け所が無い状態だったようです。
若いので進行も早かったのでしょう、12月に入院し、4月に亡くなってしまいました。
携帯がロックされていたようで会社関係の方には連絡が行ったのですが、友人関係には連絡があまりにとれないので直接、家に訪ねて初めて判ったそうで昨日、友人を介して連絡が回ってきました。
本人に告知しなかったのか今となっては判りませんが、1月に一時退院した時には4月頃には遊べるかな~と日記に書いていたのが今となっては悲しくてしかたありません…。
昨日はショックで寝付ませんでした。
こんな事を言うと意外かも知れませんが、私は“運命”と言うものを信じる派です。
生を受けた時点から死ぬ時まで何らかの力によって生かされているのだと思っています。
何の為に生を受けたのか子供の頃から考えていますが未だに解りません。
今の仕事が天命なのか、他に道があったのか解りません。
しかし、吉原の片隅に引っ掛かって飯を喰っているのも何らかの運命なのでしょう。
『袖振れ合うも他生の縁』と言います。
今、私のブログを読まれている方ももしかしたら前世からの因縁があるのかも知れません。
富豪の家に産まれなに不自由なく生活する子。
両親の暴力によって痣だらけな子。
地震で亡くなってしまった子。
紛争地域に生まれ地雷で片足吹き飛ばされる子。
産まれてくる時に親や地域を選択できる訳がありません。
何も悪い事をしていない子達が親の暴力や銃弾や飢えで亡くなってしまうのです。
平和な日本で五体満足に生まれた事を感謝しなければなりません。
欲を言えばもっと身長が欲しかった、もっと美形に生まれたかった、もっと裕福な家庭に生まれたかったと…キリがありません。
今生きている環境、持っている財産(能力)で必死に戦う事が運命に対抗できる唯一の手段だと思います。
貧しくても障害があっても不細工でも幸せに生き人生を謳歌してる方は沢山います。
先日、自殺してしまった上原美優さんのように自ら命を絶つ事は一番悲しい事だと思います。
生きたくても生きられなかった人達の為にも与えられた人生を一生懸命に生きるしかないのだと思います。
『今を生きる』
使い古された言葉ですが、いつ運命の終焉が来るのかは誰も知りません。
いつその日が来ても悔いだらけで終わらぬよう
一日、一時間、一瞬も無駄にする事無く必死に生きよう。
友人の死でそんな事を考えました。